2026年もまた、サマータイムを迎える季節がやってきました。
正直なところ、今の本音を言えば「もういい加減、終わらせてほしい」という気持ちが勝っています。
奪われた1時間と、追いつかない身体
こちらに来たばかりの頃は、サマータイムという響きにどこかワクワクしたものです。手動で時計の針を進める作業も苦になりませんでしたし、夜9時過ぎまで明るい空の下で過ごせる贅沢に、心躍らせていた時期もありました。
しかしいつからか、この切り替えのたびに、抜けない重だるさのような「時差ボケ」を覚えるようになりました。
朝6時に起きても外はまだ深い闇の中。それなのに、夕方6時を過ぎても昼間のような日差しが部屋に居座り続ける。
年齢とともに、体内時計がこの「人工的な1時間のズレ」に、どうしても納得しなくなっているのを感じるのです。
2019年に可決されたはずの「廃止」
実は、このサマータイム制度を終わらせる動きは、すでに数年前から本格化していました。
2018年に行われたEUの大規模な意識調査では、約460万人の回答者のうち8割以上が「時計の切り替えはやめるべきだ」と回答。これを受け、翌2019年には欧州議会で正式にサマータイムの廃止が可決されました。
順調にいけば、2021年にはこの制度は幕を閉じていたはずでした。しかし、可決から7年が経とうとする2026年の今も、私たちは変わらず年に2回、時計の針を動かし続けています。
揃わない足並み、進まない議論
一体なぜ、これほどまでに停滞しているのでしょうか。最大の要因は、地理的な条件の違いによる「どの時間を固定にするか」という対立です。
- サマータイム固定派(スペイン、イタリアなど):観光業が盛んな南欧諸国は、経済効果を期待して「夜が長いサマータイム」での固定を強く望んでいます。
- 標準時固定派(フィンランド、デンマークなど):高緯度の北欧諸国では、サマータイムに固定すると冬の朝が午前10時近くまで暗くなってしまい、子供たちの通学や市民の健康に深刻な影響が出ると懸念しています。
ここで難しい立場にあるのが、欧州のハブであるドイツです。ドイツ国内の世論調査では「時計の切り替え廃止」への賛成が圧倒的ですが、いざ固定するとなると意見が割れます。
もし「サマータイム」に固定すれば、冬の時期、ベルリンなどでは朝8時半を過ぎても太陽が昇らないという極端な状況を招きます。一方で「標準時」に固定すれば、夏の夜の明るさが失われることへの抵抗感も根強いのです。
陸続きのヨーロッパにおいて、隣国同士で時間がズレれば、物流や鉄道、航空便のスケジュールに甚大な混乱を招きます。ドイツのような中央に位置する国が「隣がどう決めるか」を伺い合う膠着状態が続き、さらにパンデミックや国際情勢の変化といった喫緊の課題に押し流され、議論はすっかり棚上げにされてしまいました。
自然の時間、人工の時間
窓から差し込む、あまりにも高い位置にある夕方の光。
人間が経済や効率のために勝手に引いた境界線に、私たちの身体は静かに悲鳴を上げています。
いつか、時計の数字ではなく、太陽の動きとともに身体が自然に納得できる「本来の時間」を過ごせる日は来るのでしょうか。その「当たり前」を取り戻す春は、まだ先のことになりそうです。
